| 新堀城跡(にいぼりじょうあと) |
| 多野郡吉井町多比良字中城にあり、東は土合川、西は杉井戸川に囲まれた北に延びる舌状台地上に立地する。中世の交通路上からみると、鏑川の谷から平井城へ向かう鎌倉街道わきにあたる。城は東西約200メートル、南北約250メートルの広さをもち、中央の本丸は東西約80メートル、南北約90メートルの方形に近い平面形である。北西角は北へ突き出している。1991年に町道拡幅工事に伴って吉井町教委が一部を発掘調査した。土塁と門状遺構、これに接続する通路が見つかっている。『箕輪軍記』は、永禄6(1563)年、武田信玄が攻め、新堀城を焼き払ったと伝えている。調査資料は吉井町教委に保管されている。〈入澤雪絵〉 |
| [文献] ◇『新堀遺跡』 1992 ◇『中世吉井の城館跡』 1991 吉井町教委 |