| 並榎北II・III・IV・V遺跡(なみえきたII・III・IV・Vいせき) |
| 高崎市並榎町にあり、烏川左岸の後背湿地内に立地する。1992年から1995年までの4年間にわたり、道路建設に伴って高崎市教委が発掘調査した。弥生時代後期、古墳時代前期、古墳時代後期、平安時代の4面の水田遺構が調査された。弥生時代の水田は並榎北II遺跡の調査で、As-Cに覆われた水田の下層で見つかった。北西から南東方向に細長く6枚の水田が確認されており、1枚の面積は約25平方メートルから30平方メートルである。水田に平行するように、上幅5.5メートルから7.4メートル、深さ1メートルから1.2メートルの水路が確認されている。水田と水路は、一連の洪水砂層に埋没しており、同時期の遺構であることが分かる。水路の底部や水田面からは弥生中期後葉の遺物が出土している。水路沿いのみに水田が発見されていることから、自然地形を考慮にいれて、当時の農業技術による水田開発に適した地帯を占地していったものと思われる。並榎北遺跡や飯塚新田西・雁田遺跡でも同様の水路が発見されているが、調査地点や水路の特徴などから一連の遺構としての可能性が高い。本遺跡を含む並榎地域一帯は古来からの湿地帯であり、自然河川を利用した用水路が開削され、水田開発に取り入れられていったものと思われる。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈黒沢元夫〉 |
| [文献] ◇『並榎北II・III・IV・V遺跡』 高崎市教委 1996 |