並榎北遺跡(なみえきたいせき)

  高崎市並榎町にあり、榛名山東南麓から連なる浅い谷の中央部に立地する。1987年に道路建設に伴って高崎市教委が発掘調査し、4面の水田が見つかった。最上層の水田はAs-Bに覆われたもので、畦は南北方向で大八木水田遺跡に連続する条里制に基づく区画がうかがわれる。この下位の水田は榛名山二ツ岳の噴火に伴う厚い泥流層に埋没していた。水田は幅1.2メートルから4.0メートルの大畦で囲まれ、内部に小畦による区画がある。小畦による区画は、調査区南隅では3.4メートルから1.9メートル×1.9メートルから1.1メートルと非常に細かいが、中央および北では平均37.51平方メートルと大きい。Hr-FA降灰の後に再度耕作されたものとみられ、土壌中にHr-FAが混入している。Hr-FA降下が田植え時期という傍証になろう。この下には調査区北でAs-Cに埋没した水田が見つかり、調査区中央付近では、さらにAs-C層の下で洪水砂で埋没した水田と水路が見つかった。洪水砂とAs-Cとの間にはシルト質土壌の間層があり、洪水が起きたのはAs-C降下より古い段階と考えられる。水路は幅6メートルから4メートル、深さ1.36メートルから1.12メートルで、断面はゆるやかな台形を示し、水田中央を蛇行する。水田は20平方メートルから145平方メートルの大きさで、ややゆがんだ長方形の平面形である。また、水路に伴う井堰や水路と水田境に崩れ防止の杭も見つかった。調査資料は高崎市教委に保管されている。〈関口修〉

[文献]
◇『並榎北遺跡』 高崎市教委 1988

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