梨の木平遺跡(なしのきだいらいせき)

  利根郡月夜野町月夜野字藪田にあり、利根川右岸に形成された河岸段丘上に立地している。このあたりは平坦な地形であることから地元では梨の木平と通称されている。1976年に県道改良工事に伴って県教委が発掘調査した。、縄文時代中期の敷石住居1、弥生時代中期の土坑5、平安時代の竪穴住居1が見つかった。敷石住居は掘り込みの深い竪穴住居であったために床面の敷石が良く残されており、敷石の構造がよく分かった。床面には7個の柱穴があり、床石はこの柱間を直線で結んだ内部に敷かれていた。敷かれた石はほとんどが自然剥離の平らな石で、一部に河原石が使われていた。配置された石のすき間には小さな河原石が詰められており丁寧な仕上げの心配りも感じられる。これらの石は出入口である張り出し部から主体部の炉を軸線としてみごとな左右対称に配置されていたことは縄文人の美意識として注目されよう。また、柱穴の掘り込み面を覆うように石が敷かれていることから、柱を立てた後に石が敷かれた工程も分かった。石組炉の中は大型土器の胴部を利用した火壷がつくられていた。また、張り出し部の基部に埋甕がある。住居内からは、石皿、磨石、打製石器などのほかに、敷石面から大型の深鉢形土器が横倒しの状態で出土している。この土器は住居内の食料貯蔵用であると考えられるが、廃屋を利用した墓制としての廃屋墓の土器棺であるとの見解もある。

 弥生時代の土坑は長径約1.6メートルから1メートルのほぼ円形の平面形であるが、いずれも出土遺物がない。周辺から中期の弥生土器が出土したことから時期が想定された。なお、包含層から出土した弥生時代の遺物には石鍬などの大型打製石斧8個が注目された。

 平安時代の竪穴住居からは、胴部に縦位の箆削り調整の残る「月夜野型」の羽釜が10個体ほど出土している。この羽釜は近接する洞窯跡群で生産されたもので、上毛高原駅前広場で発掘調査された藪田東遺跡では工房も発掘調査されている。また、碗8個体と刀子と土錘が1個ずつが出土しているが、碗の一つには胴部外面に「吉」の墨書があった。

 敷石住居は1977年に県指定史跡となり、道路の設計変更によって現地に保存されている。出土遺物は県埋文センターに保管され、一部は月夜野町歴史民俗資料館に展示されている。〈能登健〉

[文献]
◇『梨の木平遺跡』 県教委 1977

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