| 中原遺跡(なかはらいせき) |
| 安中市中野谷字中原にある。中野谷地区遺跡群の一つで、横野台地内部、猫沢川に沿った台地の南辺に位置する。縄文時代早期、前期前葉、古墳時代前期の集落遺跡と、古代の「牧」からなる。1988年から1991年にかけて土地改良に伴って安中市教委が発掘調査した。縄文時代前期前半の竪穴住居は関山I式13、同II式1、有尾式2があり、関山I式期の集落について、詳細な分析がなされている。住居群は水場近くに位置する南群とやや内部に位置する北群に分かれる。それぞれの住居群の属性分析を行った結果、両群の違いは居住季節の違いであることが判明した。すなわち、北群では黒曜石製石鏃が多く、焼けた集石が多いのに対し、南群ではそれが少なく、竪穴住居の周囲に土坑群が形成されている。前者は狩猟期(秋から冬)、後者はそれ以外の時期のものと推定されている。また、両群ともに竪穴住居3棟から4棟が間隔をおいて列状に並ぶ列状集落を形成していたことも確認された。この時期の集落の景観が復元された事例として重要な遺跡である。
奈良・平安時代の大溝が見つかった。南北410メートル、東西260メートルから300メートルの台形状区画をなすもので、内部区画は8.9haの規模がある。内側からは竪穴住居は全く見つかっておらず、「牧」に伴う区画施設として掘られたものと判断される。区画の南端に大規模な沼が「水場」として取り込まれており、縁辺には湧水坑や炭窯がある。南辺を区画する大溝のみ柵列を伴っており、外縁部の区画と推定される。柵列を伴わない大溝は牧の内側の区画施設とみられる。大溝からはほとんど遺物が出土しなかったが、As-Bが上部に堆積している。大溝中のAs-Bの堆積位置はほかの遺跡でも全く同じであり、廃絶時期もほぼ同時期と考えられる。平安時代までさかのぼることは確実である。出土遺物は安中市教委に保管されている。〈大工原豊〉 |
| [文献] ◇『中野谷地区遺跡群』 安中市教委 1994 |