中野谷松原遺跡(なかのやまつばらいせき)

  安中市中野谷字松原にある。碓氷川上位段丘上のなだらかな台地上に立地する。中野谷地区遺跡群に含まれる。標高は約250メートルである。1992年から1993年に工業団地造成に伴って安中市教委が発掘調査した。調査面積は約3万平方メートルである。後期旧石器時代、縄文時代前期から後期の集落、古墳などが見つかった。竪穴住居247(拡張を含む)、掘立柱建物36、土坑1044、竪穴状遺構11、大型柱穴2、集石遺構2、屋外埋設土器2、ピット約7000、古墳1などが見つかっている。

 遺構の大部分は縄文時代前期中葉から後葉(有尾式から諸磯b式)であり、これまではっきりしていなかったこの時期の大規模集落の様相がある程度解明されることとなった。この時期の竪穴住居は、約95カ所(延べ239回)構築されていて、87%に重複、拡張や建て替えが認められることから、数百年間にわたって定住型の集落が営まれていたものと推定された。同時並存していた竪穴住居は10棟前後と推定され、中には1辺10メートル以上の規模をもつ大型竪穴住居も数棟ある。土坑のうち229基は、土坑墓と判断されるものであり、6カ所の墓群を形成していた。いわゆる中央広場には約7000基のピットがあり、蜂の巣状の状態を呈していた。掘立柱建物のうち10メートルを超える大型掘立柱建物が18棟見つかっており、このうち4棟は20メートルを超える超大型の建物であった。

 前期の集落は大きく3期に分かれる。第1期集落は、有尾式期の集落で、長方形の平面形で深い壁溝を有する竪穴住居(方形壁溝全周型)が直線的に配列しており、「列状集落」を形成していた。第2期集落は諸磯a式期から諸磯b式期の集落で、竪穴住居が直径約110メートルの環状にめぐっており、典型的な環状集落の様相を呈していた。北側中央の位置には、大型掘立柱建物群があり、これを要として、方形ないし隅円方形の竪穴住居が環状に配列していた。

 第3期集落は諸磯b式期の集落である。全体を調査していないため、全容は不明であるが、第2期の西側の位置に引き続き環状集落を形成していたと推定される。土坑墓群が6カ所でほぼ完全な状態で見つかった意義は大きく、縄文時代の社会構成を知る上で重要である。土坑墓からは人骨は出土しなかったものの、墓坑の規模からみて屈葬であったと推定される。上部施設としては立石や集石を持つものがある。下部施設として礫、磨石、凹石、石皿などが「抱石」として中央に置かれるものが半数近くあったほか、深鉢、浅鉢を頭部に被せる「鉢被り」が施されていたものが少数認められた。また、けつ状耳飾、石匙A類、浅鉢、黒曜石原石などの副葬品が出土した例も少数認められた。この中にはけつ状耳飾が2点並んで出土したものが2例あり、装着された状態のままで埋葬されたことが確認された。土坑墓群での副葬品保有率は4%から22%であり、特定の被葬者のみに副葬が行われていたことが分かる。

 出土遺物は、この時期の遺跡としては桁外れの質、量である。土器は有尾式から諸磯a式、同b式が主体を占めるが、浮島式(東関東地方)、北白川下層式(近畿、北陸地方)、大木4式(東北地方)など遠隔地のものも含まれている。また、石器でも、3567グラムの重さの長野県産黒曜石原石や東北地方産の硬質頁岩製の石匙A類、北陸地方産の翡翠や蛇紋岩製の管玉、けつ状耳飾、垂飾などが出土しており、遠隔地との交易や交流が活発に行われていたことが確認された。ミニチュア土器、土偶、石棒などの祭祀、儀礼行為に用いたと推定される遺物も多数出土しており、すでに精神文化面でも比較的高度な段階に発展していたことが明らかとなった。出土遺物は安中市教委に保管されている。〈大工原豊〉

[文献]
◇『中野谷松原遺跡』 安中市教委 1996
◇「群馬県安中市中野谷松原遺跡」『月刊文化財情報’93.5』 1993
◇小林達雄『縄文人の世界』 朝日選書 1996

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