中堤添遺跡(なかつつみぞえいせき)

  藤岡市中字堤添にあり、鏑川と烏川とが合流する段丘面上に立地する。現地表面の標高は74メートルで、段丘面上は畑地および水田であるが、その下の低地は一面に広がる水田地帯である。遺跡の南には中II遺跡がある。1991年に砂利採取に伴って藤岡市教委が発掘調査した。奈良・平安時代の集落で、竪穴住居28、溝3などが見つかった。遺跡は段丘面に沿って東西に延びるが竪穴住居は調査区の北西部に集中し、しかも何世代にもわたる重複関係があることが分かった。溝は調査区をL字形に曲がり、北流する。断面形はV字で、規模は幅1.5メートル、深さ50センチメートルほどである。埋土中位にAs-Bが見られ、溝の中ほどから、大きな自然石が見つかった。区画内からは、平安時代の住居、土坑などが見つかり、溝との関係が注意される。区画内の住居は3棟あり、周辺に土坑が散在する。土坑のなかには炭化物が底面全体に見られ、土坑墓と考えられるものがある。遺物は須恵器坏、碗類、土師器甕が多いが、灰釉陶器が非常に多く、また緑釉陶器片も出土している。多量の陶器類が出土した遺跡はこの周辺になく、有力者が住んでいた集落と考えられよう。出土した灰釉陶器は10世紀から11世紀にかけての東濃系の高台付碗類が多い。出土遺物は藤岡市教委に保管されている。〈丸山治雄〉

[文献]
◇『年報』8 藤岡市教委 1993

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