| 中大塚遺跡(なかおおつかいせき) |
| 藤岡市中大塚字市街道、字東海道、字中道にまたがる。鮎川により形成された扇状地上に立地し、扇状地礫層が部分的に露出する。1987年に前橋・長瀞線バイパス建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。見つかった遺構は、奈良・平安時代以降の竪穴住居や掘立柱建物、中世の火葬土坑、道路遺構などである。出土遺物の中には縄文時代の打製石斧などが見られるが、同時期の遺構は見つからず、集落は奈良時代以降に出現する。奈良・平安時代の集落は、竪穴住居と掘立柱建物がセットで構成されていたと考えられる。この集落内から、焼失家屋が1棟見つかった。多量の炭化材が出土し、壁は赤く煉瓦状に焼き締まっていた。出土遺物はほとんどなく、廃棄のために焼かれた住居と考えられる。遺跡北側では、全幅6.6メートル、路面幅4メートルの規模で、両側に上幅1メートル、深さ0.4メートルの側溝を持つ道路遺構が見つかった。道路面は掘り込まれ、20センチメートル前後の深さで硬化した面があった。路面は2面あり、下層路面は地山の粘質土に細砂と鉄分沈着を含み硬く踏み締められ、上層路面はAs-Bの混土が踏み締められていた。路面から宋銭が出土していることや上層路盤構築土中にAs-Bが鋤き込まれていることなどから鎌倉時代以降に造られた道路と考えられる。この道路遺構は、神流川を渡り、藤岡市街地南西の平井城から鮎川沿いを下って、山名へ抜けていた鎌倉街道のバイパスとも考えられる。道路遺構南側では同時期と思われる竪穴状遺構も見つかっている。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈斉藤利昭〉 |
| [文献] ◇『上栗須遺跡・下大塚遺跡・中大塚遺跡』 県埋文事業団 1989 |