中畦遺跡(なかうねいせき)

  勢多郡赤城村三原田字中畦にあり、利根川に向かって延びたゆるやかな尾根状の台地上に立地する。北側と南側は深く落ち込んだ沢となっており、遺跡のある尾根の南北幅は約100メートルである。1982年に関越自動車道建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。見つかった遺構、遺物は旧石器時代から平安時代にかけてのものである。旧石器時代の遺物は尾根の南側部分で出土している。出土点数は21点で、ナイフ形石器2、2次加工をもつもの1、石核1、敲石1、台石と思われるもの1である。出土層位はAs-Sr降下以後と考えられるがAs-YPとの関係は明確ではない。出土したナイフ形石器は最終段階のものと考えられ、武蔵野台地と比較するならば第IV層上位ないしは第III層下位に対比される。縄文時代の遺構は竪穴住居6棟で、前期中葉の黒浜式期2、後半の諸磯b式期3である。黒浜式期の住居からは口縁部に連続爪形文による菱形モチーフをもついわゆる有尾式土器の出土も見られる。土坑は黒浜式期から五領ケ台式期で、61基が見つかった。また平安時代の住居2棟が重複して見つかり、いずれも東に竈を持っていた。出土遺物は甕、坏、碗などのほかに、1号住居からは皇朝十二銭の一つ「富寿神宝」が出土している。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈小野和之〉

[文献]
◇『中畦遺跡』 県埋文事業団 1986

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