| 寺井廃寺(てらいはいじ) |
| 太田市寺井町、天良町にある。大間々扇状地の南東端部にあたる微高台地上に立地する。第二次世界大戦以前から古瓦の散布が知られ、古代の寺院として注目されてきた。しかし、建物基壇や礎石が見つかっておらず、これまで本格的な発掘調査も行われていないため、伽藍配置など遺構の詳細は不明である。強戸中学校の南辺とその南方の住宅地で礎石や瓦が出土しているので、そのあたりが寺院の中枢部とみられている。なお、昭和60年代に、太田市教委により寺域北半部とみられる強戸小学校と強戸中学校の中間の住宅地の発掘調査が行われたが、寺院主要部にかかわる遺構は発見されていない。本遺跡からは、軒瓦、丸瓦、平瓦、鬼瓦など多種多量の瓦類が出土している。軒丸瓦は複弁八葉文、複弁七葉文、単弁十六葉文、単弁五葉文、単弁四葉文の5種、軒平瓦は重弧文(主体は三重弧文で、二重弧文が1点)、唐草文、格子目文の3類がある。創建段階と見なされる瓦は複弁八葉文軒丸瓦と三重弧文軒平瓦の組み合わせで、いわゆる川原寺式の軒瓦である。また、寺井廃寺の創建期瓦の生産窯である萩原窯跡は7世紀の第4四半期の築窯と考えられる。これらから、本寺院の創建年代は7世紀の第4四半期の早い段階に比定されよう。古代寺院の地方への波及は7世紀後半に一つのピークがあり、律令体制の整備に伴って、郡司に任用された地方豪族によって活発に造寺活動が行われたことを示すものとされている。そして、そのような寺院に隣接して郡衙が確認される事例も増えつつある。寺井廃寺の場合も、南西500メートルに新田郡衙の可能性が高い天良七堂遺跡がある。以上のことから寺井廃寺および天良七堂遺跡は新田郡司に任用された在地豪族によって造営されたものと推測される。〈須田茂〉 |
| [文献] ◇須田茂「上野国新田郡における古代寺院について」『紀要』7 県埋文事業団 1990 ◇『新田町誌』通史編 1990 ◇『太田市史』通史編原始古代 1996 |