| 堤上遺跡(つつみうえいせき) |
| 群馬郡群馬町三ツ寺字堤上にある。相馬ヶ原扇状地上の、唐沢川と谷地形に画された台地上に立地する。標高は135メートル前後ある。遺跡の南にある三ツ寺堤は江戸時代17世紀中ごろに高崎藩が谷地形を利用し、水利事業として開発したものである。1991年に公園建設に伴って群馬町教委が発掘調査した。調査の結果、古墳時代後期から平安時代にかけての竪穴住居190棟などが密集して見つかった。遺構のなかで注目されるのはH-115号住居である。住居が廃絶した後、埋没途中で畠地化されている。畠はAs-Bに埋まっていることから12世紀初頭の時期と考えられる。住居は出土遺物からみて11世紀前半のものである。住居の規模は6.84メートル×6.00メートルと比較的大きく、竈が7基確認され、数回の造り替えも認められる。また4個の主柱穴がある。ピットや土坑も多く認められるが、多くは床下の遺構である。出土遺物は酸化炎焼成の小型坏、甕、羽釜、手捏の半球形碗があり、特殊な遺物として、回転糸切痕、板状工具痕の見られる粘土塊がある。さらに、住居南西部からは白色粘土塊が出土していて、工房的な性格をもつ施設と考えられる。瑞花双鳳凰八稜鏡がAs-B下の住居埋土層から出土した。特別な掘り込みなどは認められない。また、H-142号住居からは金銅装花形杏葉が1点出土している。住居は伴出する須恵器から7世紀後半の時期と考えられ、住居出土の馬具として興味深い。このほか、H-28号住居からは耳環、H-112号住居からは引手が出土している。H-123号住居からは提瓶形陶硯が出土している。共伴遺物から7世紀後半から8世紀前半の遺物と考えられ、類例が上野国分僧寺・尼寺中間地域遺跡出土品にある。出土遺物は群馬町教委に保管されている。〈清水豊〉 |
| [文献] ◇『堤上遺跡』 群馬町教委 1994・1995 |