月田古墳群(つきたこふんぐん)

  勢多郡粕川村月田字富士ノ宮にある。赤城山麓の標高250メートル前後のやや幅の広い丘陵性台地上に立地する。南北1キロメートル、東西400メートルの範囲に、3基の前方後円墳と30基前後の大小の円墳が造られた古墳時代後期の群集墳である。古墳群中には、県指定史跡壇塚古墳(1951年指定)、鏡手塚古墳(1949年指定)を含んでいる。1948年から1950年にかけて群馬大学が壇塚古墳、鏡手塚古墳を含む6基の古墳を調査した。また、1981年と1983年にほ場整備に伴って古墳群域すべてを対象として27基の古墳を、1992年には村道工事に伴って地蔵塚古墳の墳丘部を粕川村教委が発掘調査した。これまでの調査から、鏡手塚古墳、地蔵塚古墳、二子塚古墳の3基の前方後円墳と直径50メートル級の大型円墳である『上毛古墳綜覧』粕川村22号古墳の造営を契機として月田古墳群の形成が始まったことが想定される。その終焉は、7世紀代で、前庭部からは8世紀代まで下がる須恵器の出土が認められた。調査された古墳の埋葬施設はすべて河原石を用いた自然石乱石積の横穴式石室で、両袖型のものが大部分である。しかし、地蔵塚古墳や粕川村22号墳の主体部は袖無型の横穴式石室である。石室前には前庭を設けるものが多い。石室からの出土遺物は、直刀、鉄鏃、耳環などの鉄製品が多く、玉類の出土は少なかった。前庭部からは須恵器が出土した。埴輪は3基の前方後円墳、壇塚古墳、粕川村22号古墳から出土した。地蔵塚古墳からは人物2、靫1、盾2、家1などの形象埴輪を含む良好な埴輪群が出土し、特に正装男子立像、巫女は墳丘くびれ部から、設置された当時の位置をとどめた状態で出土した。本古墳群は、赤城山南麓の終末期群集墳の典型例の一つとして位置づけられる。出土遺物は粕川村出土文化財管理センターに保管されている。〈小島純一〉

[文献]
◇『月田古墳群B1』『粕川村の遺跡』 粕川村教委 1982・1985

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