長福寺遺跡(ちょうふくじいせき)

  太田市下田島字長福寺にあり、木崎台地の南東端に立地する。1990年に国道354号バイパス工事に伴って太田市教委が発掘調査した。遺跡名の長福寺は字名によるものだが、仁和3(1168)年の新田義重置文中の19カ所の郷名の中に「丁ふくし」があり、寺の名前を郷名にしたものと考えられている。古墳時代中期から後葉の竪穴住居1、平安時代の竪穴住居2、中世の土坑墓36などが見つかった。特筆される遺構として、1辺約57メートル、幅約3メートルの規模の溝がある。この溝は、北西部で直角に曲がり、北東部に「角欠き」があった。溝が延びる南側を確認できなかったが、その規模や形態から中世の館に伴う遺構であると考えられる。東西長が半町分にあたることから、小規模な在地土豪あるいは有力農民の館と考えられる。また、館の約400メートル南西には、江戸時代初期の下田島城があり、それに関連するものとも考えられる。溝からは、15世紀から18世紀の耳壷、碗、皿、鉢などの陶磁器が多数出土した。このうち、17世紀、18世紀のものは上質であり、小字名からうかがえるようにかなりの財力を誇る寺院があった可能性もある。出土遺物は太田市教委に保管されている。〈金澤誠〉

[文献]
◇『長福寺遺跡発掘調査概報』 太田市教委 1992

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