朝子塚古墳(ちょうしづかこふん)

  太田市牛沢町(旧字朝日塚)にある。大間々扇状地の扇端から南方に広がる沖積平野のほぼ中央部に位置する前方後円墳である。『上毛古墳綜覧』では沢野村46号墳とされている。牛沢から高林周辺の低台地には、前方後円墳13基を含むおよそ60基の高林古墳群が形成されている。朝子塚古墳は、古墳群の北西よりに位置する古墳群中で最大級の規模をもつ古式の古墳である。現在、後円部の北東裾部を国道354号に削平され、農道がくびれ部を横切るものの良好な遺存状況である。墳丘は、低台地の一部を削って築かれており、前方部は2段、後円部は3段築成である。前方部は開きが小さく、後円部との連結部がくびれているため「ちょうし(銚子)塚」の名のとおり低く長い形態をとる。1956年に群馬大学、1976年から1977年には太田市史編集室が墳丘調査および一部発掘調査を行っている。

 墳丘は前方部を南東方向にとり、墳丘全長123.5メートル、後円部は直径62メートル、高さ11.8メートル、墳頂平坦面直径16メートル、前方部は長さ62メートル、高さ6.8メートル、くびれ部は幅31メートルある。周堀は前方部東側から北側にかけて残っているが、「牛沢村絵図」(1873年)には、墳丘をめぐる周堀と想定される地割りが描かれている。周堀の幅は約28メートルで墳丘に相似形にめぐると考えられ、周堀外周では全長約180メートル、幅120メートルに及ぶとされる。平坦面以外の斜面全面に河原石の葺石が葺かれている。前方部および後円部の裾部と墳頂部に2重の円筒埴輪列がめぐる。また、後円部頂上部には、方形区画された円筒埴輪列があり、これを長軸方向に区切る埴輪列が並ぶことから、竪穴式系の2基の埋葬施設をこの埴輪列が囲んでいるものと考えられる。円筒埴輪には器台円筒、普通円筒、朝顔形円筒があり、墳頂の方形区画のもので底部直径40センチメートル前後、縁辺のもので55センチメートル前後と大型である。目の細かいヨコハケの整形痕を残し、突帯は断面逆台形である。形象埴輪は後円部頂上で、焼成前に底部穿孔および胴部下半への透かし孔を施された壷形埴輪のほか、家形、盾形埴輪の破片が出土している。埋葬施設は未発掘のため、副葬品などは不明である。墳丘築成以前の基盤になる黒色土中からは、石田川式土器が出土している。本古墳は古墳時代前期末、あるいは5世紀初頭に造られたものという位置づけが行われている。出土遺物は群馬大学に保管されている。〈春山秀幸〉

[文献]
◇『群馬県史』資料編3 1981
◇『太田市史』通史編原始古代 1996

戻る