| 頼母子横穴墓群(たのもしおうけつぼぐん) |
| 邑楽郡板倉町海老瀬字頼母子にある。東小学校の北側の台地南側斜面に5基ある。灰青色硬質砂層といわれる硬質の砂岩層をくりぬいて築いた墓である。1927年に土取り工事の際に第1、2号横穴墓が見つかり、現在開口している。工事の際に鉄刀と壷形土器が出土したといわれている。なお後世、第1、2号横穴墓はトンネル状に連結されてしまった上に風雨や浸水などによる崩壊が進み、原形をとどめていない。現在までに5基見つかっているが、第2号横穴墓が本群中で最大の広さを持つと思われる。玄室床面の平面形は胴張り気味の隅丸方形である。断面的に見ると側壁はやや直線的に立ち上がる。奥壁は内湾状に立ち上がり、ドーム状の天井部へと移行する。玄門部の天井部分にホゾ状の切り込みが外側から施されている。おそらく閉塞するための施設と考えられる。なお玄室床面には排水溝と思われる溝が壁にそって造られ、浮石質角閃石安山岩(軽石)の河原石が1層から2層敷かれていたとのことである。1984年にこれらの横穴墓の西側200メートルのところで浄化槽敷設工事が行われ、この時に第4号横穴墓が発見されたため、板倉町教委が緊急に発掘調査した。玄室部分のみの調査であるが、床面は軟質砂岩層の上に浮石質角閃石安山岩の拳大の河原石を7層から8層敷きつめている。この付近の土層は軟質砂岩層、硬質砂岩層、ローム土層、表土の順に堆積しており、硬質砂岩層の堆積が西側ほど薄くなっている。第4号横穴墓は床面が軟質砂岩層となるため補強などの意味もあって、軽石を厚く敷き詰めた可能性が高い。天井部がローム土層部分にあたり、明確な形状はとらえられない。なお玄門部の閉塞石として下層部に軽石、その上層に硬質砂岩層の切石を充填している。横穴墓の構築時期は使用石材などから7世紀後半ごろと推察する。出土遺物の鉄刀(第1号横穴墓)と責金具(第4号横穴墓)は板倉町教委に保管されている。なお本横穴墓の南方約750メートルのところに離山横穴墓がある。やはり硬質砂岩層をくりぬいて構築している。〈宮田裕紀枝〉 |
| [文献] ◇『板倉町史』別巻9 1989 |