田ノ保遺跡(たのほいせき)

  勢多郡北橘村分郷八崎字上田ノ保にあり、標高は185メートルである。東川が開いた谷地にあり、遺跡地付近で谷幅200メートルの比較的広い平坦地となる。1993年から1995年にかけて県道バイパス工事と住宅団地造成工事に伴って北橘村教委が発掘調査した。調査の結果、縄文時代中期末から後期初頭の土器捨て場、後期の泥流面と杭、古墳時代後期の水田2面が見つかった。水田は小区画で、1面が2平方メートルから5平方メートル程度の面積である。Hr-FAに埋まっており、調査区外に続くことから、谷地の平坦面一面が当時の水田であったと考えている。調査地点東の崖の中腹から現在でも湧水があり、これを水路によって引き入れて利用したものとみられる。乾湿田であり、現在の耕作技術にひけをとらない。水田には人間の足跡とともに馬の蹄跡が多く残る。蹄跡は大小があり、曲線を描いたり、交差したり、数頭の馬が自由気ままに歩き回っていたことをうかがわせる。Hr-FP下の水田は軽石層が薄いため、残存状態はよくないが、小区画、短冊状、畦がなく耕作痕のみのものと、いくつかの形態がある。とくに短冊状のものには農耕具痕が明瞭に認められる。Hr-FP降下の季節は秋と初夏の説があるが、田起こし中に軽石が降下した証拠である。ただし、田起こしは近代では秋と春のいずれも行っていたことを付記する。出土資料は北橘村教委に保管されている。〈長谷川福次〉

[文献]
◇富澤敏弘「火山灰に埋もれた水田跡」『群馬歴史散歩』132 1995
◇『北町遺跡・田ノ保遺跡』 北橘村教委 1996

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