| 田篠上平遺跡(たじのかみだいらいせき) |
| 富岡市田篠字上平にあり、鏑川の支流である雄川の形成した扇状地に立地している。1986年から1987年にかけて、上信越自動車道建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。遺跡の内容は7世紀中葉から後半の古墳3、奈良時代から平安時代の竪穴住居50、掘立柱建物23、As-B下の水田などである。古墳は田篠古墳群の中に位置している。この古墳群は南に広がる甘楽町善慶寺古墳群とつながっており、現在の行政上は分かれているが、雄川扇状地左岸に分布する一連のものと考えられる。古墳は天井石などがなく、原形をとどめていない。遺物は須恵器の長頚瓶、壷、甕などがある。竪穴住居は黒色土層から砂礫層にかけて掘り込まれており、崩れやすいせいか、壁に石積みの見られるものがあった。竈は住居の北側と東側にあるものと2種類あり、おおむね北側が奈良時代、東側が平安時代のものに分類できた。古墳時代は墓域として利用されており、竪穴住居はない。その後、8世紀から9世紀にかけて集落として栄えたが、10世紀には衰退した。遺物は須恵器、土師器の甕、坏類である。また、墨書のある坏(「成」「大公」「山寺」「石」)が数点出土した。そのほか、祭祀跡と考えられる遺構が見つかった。これは上面にこぶし大の焼け石があり、その下に土師器の破片が散乱する、平石や丸石を花弁状に立てて並べた石組みであった。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈依田治雄〉 |
| [文献] ◇『田篠上平遺跡』 県埋文事業団 1988 |