| 高崎情報団地遺跡(たかさきじょうほうだんちいせき) |
| 高崎市宿大類町字稲荷、字万相寺、字塚之越、中大類町字御所の宮にあり、高崎市街地の東方約4キロメートルの井野川右岸の段丘上に立地する。1993年から1995年に高崎情報団地造成に伴って高崎市教委が発掘調査した。弥生時代後期の竪穴住居7、方形周溝墓7、古墳時代竪穴住居99、掘立柱建物22、古墳33、溝15、奈良・平安時代の竪穴住居25、道路状遺構、中世の館などが見つかった。調査面積が約7万平方メートルと広く、注目される遺構が多い。
縄文時代では遺構は見つかっていないが、中期後半から後期前半ごろの土器片や石斧、石鏃などが出土しており、隣接する万相寺遺跡との関連が考えられる。弥生時代についても、万相寺遺跡で確認された住居群に続くような形で集落が見つかった。方形周溝墓は、これらの住居から離れた南側の微高地上にあり、溝が全周するものや、四隅が切れるものなどがある。古墳時代の集落は、前期の石田川式土器を出土する住居約50棟が遺跡の北西部を中心とした区域にあり、1間×1間と1間×3間の掘立柱建物も見つかっている。3号掘立柱建物の柱穴からは大量の炭化した稲が稲穂のついた状態で出土している。 古墳は、5世紀後半を中心とした帆立貝式古墳4基を含む計33基を調査した。これらの古墳は、遺跡南側の帯状に広がる微高地上にある。帆立貝式古墳は、全長40メートルほどの規模のもので、造出部はそれぞれ方向を異にしている。すべての帆立貝式古墳から埴輪が出土しているが、特に13号、16号、21号古墳からは、円筒埴輪に固定したと考えられる小さな人物や馬、鳥などをかたどったものも発見されている。なお、直径10メートルから20メートルほどの円墳からも円筒埴輪を中心とした埴輪類や土師器などが出土しているが、すべて葺石を伴わない。また、古墳時代の58号溝からは多量の土器が出土した。この溝は遺跡の西側中央部を北西から南東へ横断する大規模なもので、確認全長は120メートルに達する。幅1.2メートルから1.5メートルほどで、断面形がV字状に掘られている。溝の底面から約15センチメートルの位置にAs-Cがレンズ状に堆積し、その上20センチメートルほどの場所から、大量の石田川式期の土器類が少量の焼土とともに出土している。 道路状遺構が遺跡北西部で見つかった。幅1メートルほどの溝が2条、直線的に、約9メートルの間隔をおいて平行して延びるもので、8世紀代の東山道駅路である可能性が高い。 中世の館は遺跡の南西部で見つかった。東西約80メートル、南北約60メートルの部分について調査した。館を囲む堀は薬研堀で、堀幅2メートルほど、深さは確認面から1.2メートル前後である。堀内から中世陶器片のほか、元弘3(1333)年の阿弥陀三尊を表した板碑などが出土している。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈神戸聖語〉 |
| [文献] ◇『高崎情報団地遺跡』 高崎市遺跡調査会 1997 |