高崎城下町遺跡(たかさきじょうかまちいせき)

  高崎市檜物町、鍛冶町、宮元町にあり、烏川左岸から東方約500メートルの台地上に立地する。1991年から1992年に区画整理事業に伴って高崎市教委が発掘調査した。現存する高崎城三ノ丸堀東側の近世城下町部分にあたる。檜物町、鍛冶町は江戸時代からの地名であり、高崎城築城時に集められた職人が居住した町である。約400平方メートルを範囲とした調査では近世、近代が中心であり、井戸、溝、土坑、建物礎石、基礎、As-Aが再堆積した溝状遺構列などが見つかった。遺物では陶磁器、瓦、カワラケ、焙烙が出土した。多量に出土した陶磁器は、17世紀の陶器小皿、京・信楽系の陶器碗もあるが、ほとんどが18世紀後半以降の肥前および瀬戸、美濃系のものである。磁器には焼接痕が見られ、明治時代まで焼接による修復が行われていたことが確認できる。また、古墳時代前期の遺物が出土した土坑や、内部にAs-Bが堆積した平安時代後期の溝が見つかっている。市街地における発掘調査例が少ないため、檜物町遺跡とともに城下町を示す資料となっている。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈志田登〉

[文献]
◇『高崎城下町遺跡』 高崎市教委 1993

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