| 多比良追部野遺跡(たいらおっぺのいせき) |
| 多野郡吉井町多比良にある。東流する鏑川の右岸の段丘上、鏑川に向かって北流する土合川と矢田川に東西を画される幅500メートルほどの台地上に立地する。1989年から1991年にかけて、上信越自動車道建設に伴って県埋文事業団が3万2770平方メートルを発掘調査した。旧石器時代から近代に至る複合遺跡で、旧石器時代ではAT層の下層から10ブロック、422点の石器、縄文時代早期の撚糸文系土器200片以上、奈良・平安時代の掘立柱建物26、室町時代の道路遺構、江戸時代の溜池など多くの遺構や遺物を調査した。竪穴住居では縄文時代早期末と前期各1、弥生時代最終末の赤井戸式土器を伴うもの5、古墳時代前期2、古墳時代後期107、奈良時代21、平安時代23を含む199棟を調査したが、特に6世紀後半から7世紀前半期では、8メートルから10メートル級の大型の竪穴住居8棟が100メートル以内の区域にかたまって見つかり、東壁と北壁に1基ずつあるいは2基ずつの同時に使用された複数の竈をもつものも見られた。遺物では須恵器製の土鈴が特筆される。この土鈴は小型の竪穴住居であるH-37号住居の、竈に向かって右側の壁際床面から出土した。H-37号住居は、時期は明瞭ではないがおおむね7世紀中ごろのもの考えられる竪穴住居である。土鈴は直径5.4センチメートルほどの本体に長さ2.7センチメートルの鈕がつく、高さ7.55センチメートルのイチジク形もので、底部に4.4センチメートル幅の鈴口があり、中に直径1.5センチメートルの須恵器製の玉が1個入っている。振るとカラカラと金属質の音で鳴る。本県出土の土鈴に縄文時代のものはないが、土師質のものが後田遺跡、白倉下原遺跡、多胡蛇黒遺跡、松葉慈学寺遺跡から、須恵質のものが本遺跡のほか、末沢窯跡と多胡蛇黒遺跡から出土している。本遺跡例と土師質のものが7世紀以前、ほかが律令期のものである。地域的には後田遺跡例が利根郡出土である以外は、すべて多胡郡成立以前の旧甘楽郡からの出土である。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈石守晃〉 |
| [文献] ◇『多比良追部野遺跡』 県埋文事業団 1997 |