下高瀬上之原遺跡(しもたかせうえのはらいせき)

  富岡市下高瀬字上之原にあり、鏑川の右岸にある東西に長い丘陵上に立地する。1988年から1990年にかけて、上信越自動車道建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。縄文時代から近世にかけての複合遺跡で、特に注目されるのは、古墳時代中期後半の群集墳、古墳時代後期の埴輪窯、奈良時代の遺構から出土した文字資料などである。古墳時代中期後半の群集墳は、小円墳7基が丘陵上に東西に長く分布、墳丘はすべて削平されているが、周堀から円筒埴輪とともに多くの土師器や須恵器が出土している。時期はいずれも5世紀の後半代と考えられるが、円筒埴輪と土器が同時に出土する古墳は少なく、貴重な資料となっている。古墳時代後期の埴輪窯は、自然の谷の谷頭部を利用して造られており、2基見つかっている。県内の埴輪窯が太田地区、藤岡地区以外で見つかったのは初めてで、小規模ながら各地に窯のある可能性を示す良好な資料である。奈良時代の遺構や遺構外から、刻書土器、墨書土器が37点出土している。その大部分が「王」あるいは「玉」字を記すものと考えられ、「生王(=壬生)」という氏族名に関係する可能性もある。また、同時期の121号土坑からは、「□野国甘楽郡湍上郷戸主物部(名万呂進カ)□□□□□□」と刻書された土師器甕の口縁部が出土している。文字をもつ土器の出土例は少なくないが、この土器のように、国郡名や戸主名の入った例は全国的にも珍しい。「甘楽郡湍上郷」はこの地名についての最古の表記例であり、「物部」の姓が8世紀の湍上郷に存在することを確認できる貴重な資料でもある。国郡郷名、戸主名が記載されていることから、公的な負担に関係するものと考えられるが、集落内の祭祀に関係しているという見解もある。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈新井仁〉

[文献]
◇『下高瀬上之原遺跡』 県埋文事業団 1994

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