| 下芝谷ツ古墳(しもしばやつこふん) |
| 群馬郡箕郷町下芝にあり、相馬ヶ原扇状地の末端部に立地する。1986年に土地改良事業に伴って箕郷町教委が発掘調査した。周辺は、榛名山二ツ岳形成期の噴火による火砕流や土石流が厚く堆積している。古墳築造時の地表面は現地表から2.5メートル下であり、墳丘の大部分は埋没していた。墳丘は2段築成の方墳で、下段1辺長は約20メートル、高さ4メートル、上段1辺長は8.5メートル、高さ0.7メートル以上である。下段は自然地形の削り出しと盛土を45°の急傾斜で連続させ、表面を転石による葺石で覆う。下段上面は、小礫を敷いた平坦面に埴輪列をめぐらせ、その内側に転石を積み上げた積石塚の上段が載る。周堀幅は約8メートルで、外側立ち上がりも急傾斜である。埴輪列は、墳丘下段上面と上段上面と周堀外側の3重にめぐり、各コーナーと円筒埴輪10本から11本間隔で朝顔形埴輪を配置する。円筒形埴輪と朝顔形埴輪の総数は500本と推定され、古墳の規模に対し大量の埴輪を使用するが、形象埴輪は皆無である点は大きな特徴である。
埋葬施設は上段中央に竪穴式石室があり、頭位を北東にとる。石室内からは、馬具類、甲冑類、装飾品類とともに金銅製飾履が出土した。飾履は全長31センチメートルで4枚の金銅板を銀の鋲で留めて作られる。外面全体に歩揺とガラスをはめ込んで装飾し、さらに透かしと鏨彫りにより文様を表現している逸品である。飾履は同時期の朝鮮半島で流行したが、日本では15例ほどしかなく、本古墳出土品はその中でも最も古く装飾性に富んだものである。積石塚構造や飾履など朝鮮半島的要素が濃厚な谷ツ古墳の被葬者像として、三ツ寺I遺跡の王に従った対外交渉の実務者、あるいは渡来人の長とする想定もある。周辺の地下レーダー探査と試掘調査により同時期の積石塚1基と古墳時代前期初頭の方形墳墓3基が確認されている。1987年に町指定史跡となった。出土遺物は箕郷町教委に保管されている。〈田口一郎〉 |
| [文献] ◇田口一郎「群馬県下芝・谷ツ古墳」『日本考古学年報』39 1988 |