下芝天神遺跡(しもしばてんじんいせき)

  群馬郡箕郷町下芝字天神にあり、榛名山東南麓の白川扇状地内および同扇状地下に立地する。1993年から1994年にかけて、北陸新幹線建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。下芝五反田II遺跡、同III遺跡が発掘調査時の事業名称である。高崎市浜川町から箕郷町下芝地区にかけては、6世紀に起こった榛名山の噴火に由来する泥流層が厚く堆積する。この泥流層の上面ではAs-B下の水田や平安時代の竪穴住居などが見つかっている。また、As-B下の水田面に残された耕作の痕跡がAs-Bの上位から加えられ、かつAs-Kkに覆われることが分かった。この地域の開発年代を限定することのできる資料として注目される。

 Hr-FAの噴出に伴う泥流の下からは、多量の土器、石製模造品、臼玉などがひとところで、まとまって出土した。この遺構は、その膨大な土器の量と、泥流下という特殊条件がもたらした良好な残存状況で注目を集めた。東西10メートル、南北7メートルほどの範囲を占め、当時の地表面から最高70センチメートルほどの高さに達するまさに「土器の山」として見いだされたもので、土器が実測可能個体で2474点ある。石製模造品は破片を含めて73点あり、器形の分かるものとしては剣形がもっとも多く、ほかに斧形、有孔円盤、勾玉形などがある。また臼玉が304点ある。土器は土師器がほとんどを占め、須恵器は5個体にすぎない。土師器は坏が主体だが高坏、坩、壷、甕、鉢などのほか、片口や「はそう」などの特異な器種やミニチュアも含まれ、非常なバリエーションを見せる。接合率がごく高く、完形品が非常に多い。重ね合わされた土器も多く認められた。積み重ねられた土器群の最下位には、底部が土中に据えられた大型の壷や甕がある。これらの壷や甕の配置復元により、大型土器を並べた方形構造を基礎として土器類が集積されたものと考えられ、方形構造と集積行動の検討から、祭祀的な性格をもつ「下芝パターンの器物集積遺構」とされている。

 そのほか、畠や道、竪穴住居5棟などが見つかっている。畠は確実なもので3面あり、中でもHr-FA下の畠と、Hr-FA泥流下の畠が識別されたことにより、Hr-FAの降下と泥流の到達までの間に時間差があったことが分かり、Hr-FAの降下に対応した耕作行動のあり方などについても検討されている。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈洞口正史〉

[文献]
◇『下芝天神遺跡・下芝上田屋遺跡』 県埋文事業団 1998

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