| 下佐野遺跡(しもさのいせき) |
| 高崎市下佐野町にあり、烏川の左岸崖線際に立地する。対岸には山ノ上碑や金井沢碑、東1キロメートルには浅間山古墳、大鶴巻古墳などがあり、佐野古墳群は遺跡内にある。1976年から1982年に上越新幹線の建設に伴って県教委および県埋文事業団が発掘調査し、縄文時代から江戸時代に及ぶ遺構や遺物が見つかっている。佐野古墳群の形成過程や古代からの伝統集落の様相が明らかにされている。特筆されるのは、古墳時代前期の玉造工房や倣製内行花文鏡が出土した前方後方形周溝墓、15世紀から17世紀にかけて築かれた三つの館である。玉造工房は7棟あり、三波川変成帯の蛇紋岩、滑石で管玉、勾玉、琴柱形石製品を専業製作している。県内への古墳時代玉製作の導入を示す資料で、長野県社軍神遺跡などを経由した北陸地方からの系譜をたどることができる。滑石による量産化は、5世紀以降の模造品生産へと発展する。琴柱形石製品は、高崎市熊野堂遺跡、埼玉県本村遺跡、福井県厨洞穴などで出土しており、供給圏の一端を示している。鏡が供献された周溝墓は、26基ある周溝墓のうち唯一の前方後方形である。鏡は直径8センチメートルの大きさで、鏡片が副葬される例が多い中にあって特異な出土形態である。佐野古墳群の形成は従来古墳時代後期と考えられてきたが、周溝墓や前方後方墳が見つかったことから前期にさかのぼることが明らかとなった。烏川流域での古墳社会の成立と、その後の変遷からは地域の動向を知ることができる。館は、南から長者屋敷館、清水館、寺前館がある。それぞれ居住、信仰、烏川水運あるいは渡河権の掌握の場であった可能性が立地や出土遺物から推察できる。清水館の青磁香炉や鉦鼓、寺前館の約6000枚の備蓄銭が注目される。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈飯塚卓二〉 |
| [文献] ◇『下佐野遺跡』 県埋文事業団 1989 |