下鎌田遺跡(しもかまたいせき)

  甘楽郡下仁田町馬山にある。標高240メートルから245メートルのところで、鏑川の右岸の上位段丘上にあたり、稲含山から連なる尾根の末端部に立地する。1987年と1988年から1990年にかけて、上信越自動車道建設に伴って下仁田町遺跡調査会が発掘調査した。主な遺構は旧石器時代のユニット1、縄文時代の竪穴住居234、土坑2400、集石16、埋甕131、弥生時代の竪穴住居4、土坑1、古墳時代の方形周溝墓1、古墳10、土坑1、平安時代の竪穴住居5、土坑4、中世城郭1などである。As-YP層より上層で、旧石器時代の硬質砂岩の剥片を主体とするユニットが見つかった。縄文時代は、草創期から後期の土器、石器が出土した。早期の押型文土器を出土する竪穴住居がもっとも古く、後期の加曽利B式土器を出土する竪穴住居が新しい。ほとんどの竪穴住居は中期のものである。土坑2400基のうち、2000基が中期のものである。遺構や遺物には長野県地方の影響が強く見られ、和田峠産の黒曜石の原石が住居の床面から出土している。長野県地方と関東地方の交易の中継地点的な性格が考えられる。磨製石斧の出土状態から、磨製石斧の製作遺跡としての性格も考えられる。中世城郭は台地の先端部分に堀によって囲まれた本丸が造られている。本丸内に8棟の建物があった。堀は薬研状で、台地先端部分を台地から切り離すように掘られている。堀の中央部分には、人が一人やっと渡れる程度の土橋が掘り残されていた。築城時期は、文献、伝承などがなく不明であるが、堀の中から出土した遺物から中世末と推定される。出土遺物は下仁田町教委に保管されている。〈金井武〉

[文献]
◇『下鎌田遺跡』 下仁田町遺跡調査会 1990

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