| 下海老遺跡(しもえびいせき) |
| 伊勢崎市茂呂字下海老にあり、赤城山南麓の粕川と広瀬川の自然堤防に挟まれた後背湿地の低斜面に立地する。この地域を代表する縄文時代中期の大規模集落の一つである。1985年に伊勢崎東高校の移転に伴って県教委が発掘調査した。勝坂式終末期から加曽利E式期の竪穴住居15および単独の焼土遺構14、遺物集中2、土坑12などが見つかった。主体となるのは加曽利E式期後半であり、それ以前のものは少ないことから集落形成の盛期がこの時期にあたることが分かる。石器については打製石斧・磨製石斧・スクレーパー類が多いが、三脚の石皿や三波川変成帯でしか採れない結晶片岩の礫を利用したものもある。また、大木式系や曽利式系の土器も含まれており、他地域との交流も考えられる。出土遺物は一部伊勢崎東高校に展示されているが、そのほかは県教委に保管されている。〈松村和男〉 |
| [文献] ◇『下海老遺跡』 県教委 1986 |