| 注連引原遺跡(しめびきばらいせき) |
| 安中市中野谷字注連引原、鷺宮字大林西にある、弥生時代前期末から中期初頭にかけての集落遺跡である。1985年と1986年に安中市教委により調査が行われた。遺跡は丘陵西裾部、山頂部と東裾部に分けることができ、その順に注連引原I段階、同II段階と変遷する。注連引原I段階に伴う遺構は竪穴住居1棟のみであり、大部分の遺物は遺物包含層から出土している。同II段階に伴う遺構としては、竪穴住居1、土坑30、ピット群などであるが、前段階同様遺物包含層からの出土遺物も多い。土坑の中には再葬墓と判断されるものが含まれ、条痕文系壷形土器が出土している。なお、当初弥生時代の集落に伴う環壕と推定された集落東側の大溝は、その後の周辺地域の調査により、奈良・平安時代の「牧」の区画溝であることが判明した。この時期の土器群には浮線文系、大洞系、条痕文系のほか畿内系のものも含まれており、広範な地域間交流を背景とした土器様相と理解することができる。また、石器群の様相についてみると、石鍬やスクレーパーB類など、この時期に特徴的な器種が認められるものの、縄文的精神文化の象徴である独鈷石もあり、縄文時代の石器群の伝統的な石器製作、流通システムを継承しつつ、耕作に必要な器種だけを改良して適応させていることが分かる。たとえば、耕作と関連する石鍬は打製石斧から大型化、定形化したものへと変化し、剥片の縁辺に微細な剥離が観察されるスクレーパーB類は収穫具と推定される。この時期の土器群や石器群の様相を知る上で重要な資料である。縄文時代前期から後期の土器群も出土している。また、良質の黒曜石原石8個(672.5グラム)が集中して出土しており、黒曜石の流通を知る手がかりとなる資料である。さらに後世では、平安時代の土師器坏、須恵器碗(墨書「山」?)、横瓶が山頂部などから粉々に破砕された状態で出土しており、祭祀行為が行われた場所であったとみられる。出土遺物は安中市教委に保管されている。〈大工原豊・若狭徹〉 |
| [文献] ◇『注連引原遺跡』『注連引原II遺跡』 安中市教委 1987・1988 ◇若狭徹「北西関東における弥生土器の成立と展開」『駿台史学』84 1992 |