| 七五三引遺跡(しめびきいせき) |
| 高崎市八幡町字七五三にあり、烏川と碓氷川に挟まれた安中市から延びる東西方向の丘陵上に立地する。1982年に宅地造成に伴って高崎市教委が発掘調査した。竪穴住居7棟(古墳時代中期末から後期6、時期不明1)、土壇状遺構1基が見つかった。竪穴住居のうち7号住居は焼失家屋で、柱や垂木とみられる炭化材や焼土が床面から多量に出土した。特に、竈の前と住居中心部の床面は非常によく焼けており、炭や焼土をはさんで、5センチメートルから7センチメートルの厚さで消火に使われたとみられる土が堆積していた。また、1号住居から6点、7号住居から2点の格子目叩き痕のある軟質の土器が出土している。これは韓式系土器と呼ばれるもので、近接する八幡中原遺跡や金製垂飾付耳飾や積石塚が発見された剣崎長瀞西遺跡でも出土しており、渡来系文化の影響を受けたものとみられる。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈田村孝〉 |
| [文献] ◇『七五三引遺跡』 高崎市教委 1984 |