| 清水山遺跡(しみずやまいせき) |
| 新田郡笠懸町鹿字清水にある。清水山は大間々扇状地の形成過程で浸食され、残された赤城山体の残丘の一つであり、遺跡はその南斜面に立地している。1978年に渡良瀬養護学校建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。発掘調査面積は約4500平方メートルで、縄文時代前期の竪穴住居6、土坑91、弥生時代の土坑7、平安時代の竪穴住居1などが見つかった。また、遺構は伴わなかったが、遺物包含層からは、押型文土器、三戸式土器、加曽利E式土器などが若干ながら出土している。縄文時代前期の竪穴住居は諸磯a式土器の時期を主体としている。竪穴住居の形態は長方形と方形に分類され、その二つの形態が同時存在していたことが確かめられた。この見解は三原田遺跡における同時存在の竪穴住居は同型であるとの見解とは異なるもので、縄文時代の各時期における住居形態の研究に新たな視点を投げかけている。また、赤城山麓やその周辺に分布する残丘などの丘陵性地形の地点には小規模な前期の遺跡が散在して立地している。それらは、利根郡昭和村の糸井宮前遺跡や安中市の中野谷松原遺跡などの数少ない大集落に対して、数棟の竪穴住居からなる小集落である。清水山遺跡はその典型例の一つで、前期の集落構成を考える上で重要な遺跡である。平安時代の竪穴住居は、清水山の南斜面に細長く開析された谷の谷頭に立地していた。周辺調査の結果からは1棟のみの立地であることが確認されており、いわゆる「離れ国分」と称される平安時代の単独立地を示す例の一つになる。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈能登健〉 |
| [文献] ◇『清水山遺跡』 県埋文事業団 1985 ◇原雅信「群馬県における縄文時代前期の住居形態について」『研究紀要』8 県埋文事業団 1991 |