清水II遺跡(しみずIIいせき)

  安中市原市字清水にあり、市の中央部を東西に流れる碓氷川と九十九川に挟まれた九十九川上位段丘上に立地する。1995年に住宅団地建て替えに伴って安中市教委が発掘調査した。発掘調査の面積は6000平方メートルで、奈良時代の竪穴住居10、掘立柱建物4、柱穴列2、竪穴状遺構3、井戸1、粘土採掘坑1、窯3が見つかった。注目されるのは、中世(16世紀)の瓦質陶器が出土した井戸、粘土採掘坑、窯である。東日本においては、当時期の瓦質陶器生産窯の初めての調査例となった。また、遺構に伴い多量の土器も出土し、貴重な編年資料を得ることができた。

 3基の窯は、1号窯が円形の燃焼室に長方形の焚口が付いた鍵穴状の平面形で、燃焼室は外径1.3メートル、内径0.7メートル、深さ45センチメートルで、底面からすり鉢状に立ち上がり、燃焼室内には瓦質の内耳鍋、火鉢、すり鉢が流れ込んだような状態で確認された。これらの陶器の上を天井構築土の崩落と思われる黄褐色粘質土が覆っていたが、天井部分などの上部構造は確認できなかった。燃焼室と焚口の境には長さ70センチメートル、幅30センチメートルの礫が橋状にかけられ区切られている。燃焼室内にロストルなどの施設はなく、燃焼室と焼成室の仕切りを確認することはできなかった。焚口は長軸1.7メートル、短軸1.2メートル、深さ40センチメートル。覆土中は燃焼室から掻き出したと思われる炭化材や、瓦質の土器片が多く含まれていた。

 2号窯は1号窯と同じく鍵穴状の平面形で、燃焼室は外径1.1メートル、内径0.8メートル、深さ30センチメートルで、遺物も同様に流れ込んだような状態で見つかった。燃焼室内では3本の円筒形の土製品が立った状態で確認された。焼成される製品を支える支脚のような役割と考えられる。焚口は長軸1.6メートル、短軸1.5メートル、深さ40センチメートルで、覆土内には炭化材と瓦質陶器が多量に含まれていた。

 3号窯は奈良時代の竪穴住居と重複しており、遺存状態は良くなかった。燃焼室の平面形は楕円形で、外径1.1メートル×0.9メートル、内径1メートル×0.6メートル、深さ60センチメートルで、遺物はほとんど確認されなかった。燃焼室内の壁面には板状の礫を使っている個所があり、中央部には円錐形の棒状礫が置かれ、2号窯同様、これらが支脚の役割を持っていたものと考えられる。粘土採掘坑は竪坑部と地下坑を持ち、地下式坑の形態に似ている。地下坑は3.5メートル×3メートルの楕円形で、深さ2.5メートル、底面はほぼ平らで壁はオーバーハングして掘られている。竪坑部は地下坑の短軸方向にあり、底面は地下坑底面から約90センチメートル上がっている。覆土は竪坑側から人為的に短期間に埋め戻された状態で、上層部分にはレンズ状に堆積(直径2.5メートル、最も厚い部分で50センチメートル)した土師質土器皿が大量に認められた。小皿のほかにも内耳鍋、すり鉢、羽口状土製品が出土した。各窯から出土した瓦質陶器はほぼ同時期のもので、粘土採掘坑内出土の土師質土器皿も同時期(16世紀)のものである。窯出土の内耳鍋は生産遺構に伴って大量に出土しているため、この時期の内耳鍋の編年上貴重な資料ということができる。

 このほかの遺構についても遺物の出土はなかったものの、竪穴状遺構、掘立柱建物、柱穴列など覆土の状態を見ると中世のものと思われ、窯と同時期に存在していたと考えられる。これらの遺構は土器製作の作業に関連する施設である可能性が高く、中世土器製作にかかわる工房と考えることができる。出土遺物は安中市教委に保管されている。〈千田茂雄〉

[文献]
◇千田茂雄「安中市清水II遺跡」『群馬文化』244 1995
◇千田茂雄「群馬県安中市における瓦質陶器窯の調査」『中世土器研究』79 1995

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