| 榊原康政の墓(さかきばらやすまさのはか) |
| 館林市楠町の善導寺境内にある近世初頭の大名墓で、群馬県の近世初頭、特に館林藩の成立過程を研究する上で欠くことのできないものとして1953年に県史跡に指定されている。1986年に駅前広場整備に伴って館林市本町より善導寺とともに移転、復元整備された。墓域には近世館林城の初代城主榊原康政の墓(宝篋印塔、高さ546.4センチメートル)をはじめ、康政の長子で遠江国横須賀城主松平(大須賀)忠政の墓(五輪塔、高さ273.5センチメートル)、康政の第3子で榊原家の2代榊原康勝の墓(五輪塔、高さ272.5センチメートル)、康政の側室で2代康勝の生母花房氏の墓(宝篋印塔、高さ437.6センチメートル)、康政の殉死者南直道の墓(宝篋印塔、高さ193.7センチメートル)の5基の墓石と5基の石灯篭が並び、周りは石柵で囲われ、全体として榊原家の墓所を構成している。
1984年から1985年にかけて、墓所の移転、復元整備に伴う現況の完全な記録保存と、近世大名墓の埋葬の形態や葬送の様子を復元することを目的として館林市教委が発掘調査し、榊原康政の墓下の墓坑、康勝の墓基壇中、花房氏の墓下から、それぞれのものと考えられる遺骨(焼骨)が出土している。特に康勝の遺骨は、骨壷に柿右衛門様式赤絵の蓋付き小壷(製作年代は17世紀後半に比定)が使用され、これが基壇のほぼ中央から出土していて大名墓の威厳を示すものであった。墓域からは、このほかにもかなりの数の陶磁器破片や古銭などが出土しているが、時代的にそれぞれの被葬者の没年代より新しいものが多い。葬送の記録からみても墓所そのものがある程度時間がたって整備されたものであり、その後も各当主によって改修や法要などが行われていたことが予想された。出土遺物は館林市教委に保管されている。〈岡屋英治〉 |
| [文献] ◇『群馬県指定史跡 榊原康政の墓調査報告書』 館林市教委 1992 |