| 境ヶ谷戸遺跡(さかいがやといせき) |
| 新田郡新田町村田字境ヶ谷戸にあり、大間々扇状地の端部に立地している。1991年に鉄塔建設に伴って新田町教委が発掘した(1次調査)。調査面積は約700平方メートルと狭かったが、さまざまな遺物が出土し、7世紀から8世紀のものと推定される14棟の竪穴住居、5棟の掘立柱建物などが見つかった。このうち4棟の竪穴住居は1辺が9メートル前後あり、この時期としては極めて大きい。特に注目される点は唐三彩陶枕が出土したことである。これは8世紀後半の2号住居の覆土と掘り方中から出土した2点が接合したものである。上面部の2分の1弱が残っており、残存長は7.5センチメートル×8.2センチメートルである。上面中央に大きく宝相華文を配置し、周囲に半パルメット文をめぐらせている。発色状態は良い。2号住居は東西9メートル、南北7.9メートルと大きく、深さは55センチメートルと調査区内で最も深い。ほかの遺物として、5点の円面硯、墨書土器「東殿」「入田」「入」、須恵器火舎香炉脚、金属器を模倣したと考えられる須恵器、暗文が付けられた土器などが注目される。1992年の2次調査では、1辺5メートルから6メートルの総柱の掘立柱建物6棟が見つかり、埋土中から炭化米が出土している。また1993年の3次調査では10.5メートル×5メートルの掘立柱建物が同一地点で3棟重複しており、柱穴中から留金具の付いた石製の巡方が出土している。これまでの調査で、唐三彩などの特殊遺物が出土したこと、円面硯が5点出土したこと、大型の掘立柱建物が見つかったことなど、一般的な村落遺跡には見られない点が多い。仏具的な遺物が出土したことから寺院に関連する遺跡とも考えられるが、瓦の出土は少なく、否定的な要素も多い。現在までのところ郡家に関連する館や雑舎などの施設、あるいは近接する生品神社に関連する遺跡と考えられている。出土遺物は新田町教委に保管されている。〈小宮俊久〉 |
| [文献] ◇『境ヶ谷戸・原宿・上野井II遺跡』 新田町教委 1994 ◇小宮俊久「境ヶ谷戸遺跡出土の唐三彩」『月刊文化財』348 1992 |