上並榎稲荷山古墳(かみなみえいなりやまこふん)

  高崎市上並榎町の烏川左岸の低台地にあった古墳であるが、昭和40年代の耕地整理により墳丘が完全に削平され、原形をとどめていない。『上毛古墳綜覧』には六郷村23号墳として、剣14、具足3、甲冑、鉄鏃が出土したと記載されている。1957年の地籍図には古墳の形がよく残されており、推定墳丘長121.7メートル、後円部直径76メートル、前方部幅50メートルの大型前方後円墳であることが分かる。主軸は、ほぼ東西方向で、南側くびれ部に造出をもち、2重の馬蹄形周堀に囲まれていたと推定されている。古墳の設計企画を地籍図から復元してみると、倉賀野古墳群の小鶴巻古墳と1:1の整合関係が見られ、前代の盟主墳である浅間山古墳とは1:2の関係にあることから、倉賀野古墳群の前方後円墳と同一の企画で設計されていたと考えられる。耕地整理の際、凝灰岩製の舟形石棺が出土したが、棺身は破棄され蓋のみが近くの天竜護国寺に置かれている。舟形石棺の形式学的検討からは、不動山古墳や岩鼻二子山古墳などと併行関係にあり、1995年度に行われた高崎市教委による周堀の調査でB種ヨコハケを持つ円筒埴輪が出土していることから、5世紀後半代の築造が推測される。被葬者については、上野地域全域を統率する伝統的な首長の一人として位置づける説と、5世紀後半代に、西毛各地に分散的に成立した小地域圏を掌握した首長であるとする説がある。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈黒田晃〉

[文献]
◇右島和夫「古墳からみた五
◇六世紀の上野地域」『東国古墳時代の研究』 学生社 1994
◇梅沢重昭「黒井峯のムラを生んだ毛野の古墳文化」『黒井峯遺跡』 読売新聞社 1994
◇『上並榎稲荷山古墳』 高崎市教委 1995
◇若狭徹「上野西部における5世紀後半の首長墓系列」『群馬考古学手帳』5 1995

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