上鶴ケ谷遺跡(かみつるがやいせき)

  勢多郡新里村鶴ケ谷字上鶴ケ谷にあり、赤城山麓の丘陵性台地の標高約204メートル付近に立地する。1981年に土地改良事業に伴って新里村教委が発掘調査した。南北に延びる台地の東側に沿って、縄文時代後期堀之内式期の配石遺構9基が帯状に認められた。配石遺構は最大のもので直径約6メートル、最小では約4メートルで、使用されている礫は、大きいものでは直径約60センチメートルもある。使用された石材は、1号配石遺構と5号配石遺構が河原石で、そのほかはすべて周辺から産出する山石(亜角礫安山岩)である。5号配石遺構から8号配石遺構の4基は、環状に礫を配し、また内部にも大小の礫が配されていた。1号配石遺構から4号配石遺構は形態がよく分からない。1号配石遺構は炉状の石組をもつ。3号配石遺構からは深鉢土器が埋設された状態で出土した。5号配石遺構は直径2センチメートルから4センチメートルの小円礫だけで構築されていた。深鉢土器、蓋状土製品、円盤状土製品、磨製石斧、石皿、礫石錘、石棒、多孔石などが出土している。出土遺物は新里村教委に保管されている。〈内田憲治〉

[文献]
◇『上鶴ケ谷遺跡調査概報』 新里村教委 1982
◇『群馬県史』資料編1 1988

戻る