上植木光仙房遺跡(かみうえきこうせんぼういせき)

  伊勢崎市三和町字光仙房地内にあり、大間々扇状地を基盤層とした粕川左岸の標高86メートル前後の洪積微高地上に立地する。遺跡名は当該地区の旧村名と小字名とを併記したものである。1983年から1984年に上武道路建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。調査範囲は2万3800平方メートルで、縄文時代から中世、近世にわたるさまざまな遺構が見つかった。縄文時代の陥穴1基、10基の後期古墳、平安時代の集落などがある。2号墳から5号墳と10号墳は、直径7メートルから14.5メートルの小円墳で、いずれも竪穴式小石室を埋葬施設としていた。3号墳の埋葬施設は埋葬当時の姿のまま発見されたにもかかわらず、石室内には副葬品がなく、胸部に1個の鉄製鎌が置かれていた。他の5基は、横穴式石室を埋葬施設とした直径20メートルから25メートル前後の円墳であったと考えられるが、半地下式の構造によって築かれた1号墳の石室を除いては、後世の攪乱のためにほとんど壊されていた。いずれの古墳にも、葺石や埴輪は認められず、6世紀後半以降に築かれたものである。

 注目されるのは、平安時代の竪穴住居123棟である。230点余りの墨書土器が出土しており、県下で最も多量の墨書土器が出土した遺跡といえる。3文字以上書かれた土器は「酒人師口」が1点、2文字のものは「子前」「大川」、1文字のものは「車」「田」「願」など21種類が判読できた。人名の一部を書いたものが多いと考えられるが、廃棄された竈の中に置かれるなど、祭祀に関するものも認められる。ほとんどが竪穴住居から出土した遺物であるが、26号溝からも12点が出土した。8世紀末になってひらかれた集落であり、東山道の推定「左井駅」や上植木廃寺とも深いかかわりを持つと考えられる。出土品は県埋文センターに保管されている。〈飯塚誠〉

[文献]
◇『上植木光仙房遺跡』 県埋文事業団 1988

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