株木・株木B遺跡(かぶき・かぶきBいせき)

  藤岡市上戸塚字株木ほかにあり、ほぼ平坦な藤岡台地の縁辺部に立地する。1982年と1986年から1988年の2回にわたって、道路改良事業に伴って藤岡市教委が発掘調査した。縄文時代と古墳時代から奈良・平安時代にわたる集落である。特に、古墳時代から奈良・平安時代にかけての竪穴住居が165棟あることから、この時期の中心的集落地であると推定される。縄文時代前期(諸磯式期)の竪穴住居2、中期5で、土器群の主体は加曽利E2式期からE3式期であるが、東北地方のものや甲信地方を中心とする曽利式系土器群の影響を受けた連弧文や重弧文と呼ばれる文様を持つ数系統の土器が混在している。古墳時代から奈良・平安時代の竪穴住居は大きいもので1辺が6メートルほどの方形であるが、ほとんどが4メートル前後のものである。竈は東壁に付けられている。また、調査区の北端には古墳群があり、その一部である円墳5基を確認した。古墳時代には、生活域と墓域を分ける意識が存在していた。奈良・平安時代になるにつれて、竪穴住居の形態は長方形化し、規模も大型と小型に分化する。また、それに伴い付属施設にも変化が見られ、棚状施設などが加わるものがある。この中で、今までの住居群を壊して版築された基礎の上に礎石を置いて建てたものが1棟確認された。遺物は土器や施釉陶器などが多数出土した。さらに、多量の鉄釘などの鉄器や鉄滓もあることから、この地域の有力者の建物の可能性がある。出土遺物は藤岡市教委に保管されている。〈丸山治雄〉

[文献]
◇『B4株木遺跡』『B11株木遺跡』 藤岡市教委 1984・1991
◇『藤岡市史』資料編 1993

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