| 蟹沼東古墳群(かにぬまひがしこふんぐん) |
| 伊勢崎市波志江町にあり、標高96メートルの小丘上に立地する。1977年から1986年にかけて、伊勢崎市教委が69基の古墳と、縄文時代の竪穴住居1、縄文土器包含層1、縄文時代の陥穴5、古墳時代の前期竪穴住居5、方形周溝墓8を発掘調査した。古墳の総数はすでに破壊されてしまったものを含めると、80基から100基前後に上ると思われ、小丘上の頂部から東、南、西の緩やかな斜面に広がる、赤城山南麓でも最大級の古墳群である。調査された古墳は、出土土器、埴輪、石室の形態などから、5世紀後半1基、6世紀前半2基、6世紀中葉8基、6世紀後半26基、7世紀前半2基、7世紀中葉26基、7世紀後半8基に時期区分できた。前方後円墳や帆立貝式古墳はない。古墳群のほぼ全域を調査できたことから、次のようなことが分かった。
第1は、古墳群の形成過程を概観することができたことである。墳丘直径が30メートルや20メートル規模の比較的大きな円墳が中核となって新しい地点を占め、この中核的古墳を取り巻いて、既存の古墳との空間を埋めるように十数メートル規模の小さい円墳が造られる。同一古墳群を形成する集団の中にも明確な階層差とグループを見ることができた。第2は6世紀の前半を欠くが、6世紀から7世紀の小古墳の変遷を、横穴式石室構築法や平面の形状、羨道と石室の結合のされ方などから分析することができた。特に石室開口部前に前庭を伴う古墳が36基あり、前庭の出現から消滅までを同一古墳群の中で見ることができた。この変遷でも、20メートルから30メートルの古墳と10メートル規模の古墳では違ったあり方を示している。 一方、最も活発に古墳が造られるのは6世紀後半と7世紀中葉だが、7世紀前半の古墳は20メートルから30メートル規模の比較的大きい古墳の2基だけであったことが特徴的で、この時期に古墳築造の強い規制がうかがえる。赤城山南麓にある古墳群研究の示準となるものである。未調査古墳の一部は公園として保存されている。出土遺物は伊勢崎市教委に保管されている。〈鹿田雄三〉 |
| [文献] ◇『蟹沼東古墳群』 1978〜1981・1987 伊勢崎市教委 ◇鹿田雄三「赤城山南麓における群集墳成立過程の分析」『研究紀要』10 県埋文事業団 1992 |