金井沢碑(かないざわひ)

  高崎市山名町にあり、山ノ上碑の西北の丘陵の中腹にある。もともとは下の沢から運び上げたという話もある。安山岩の自然石に112文字が刻まれており、8世紀前半の氏族の結合のあり方や、信仰を知ることができる。その全文は「上野国群馬郡下賛郷高田里三家子孫、七世父母・現在父母為現在侍家刀自・他田君目頬刀自、又児加那刀自、孫物部君午足、次●刀自、次乙●刀自、合六口、又知識結人三家毛人、次知万呂、鍛師礒部君身麻呂、合三口、如是知識結、天地請願仕奉石文。神亀三年丙寅二月二十九日」というものであり、本碑は山ノ上碑同様に古系譜研究の資料としても重要である。

 碑文のうち、「下賛郷」はシモサノノサトと読むことができ、山ノ上碑の「佐野三家」の佐野とのかかわりが考えられる。「高田里」は下賛郷の下に置かれた里の名であり、霊亀年間(715年から717年)に地方行政区画の改制によって国−郡−郷−里といういわゆる郷里制が施行された。大宝令では国−郡−里であったが、この里が郷になり、その下に里が新たに設けられたのである。郷里制は天平12(740)年ごろまで続き、その後、国郡郷制となったが、金井沢碑はまさにこの郷里制が施行されていたことを示す貴重な資料である。「三家子孫」とある三家は山ノ上碑にみえる佐野三家のこととみられているが、最近の発掘調査で出土する文字資料によって、史料上知られていないミヤケの存在が確実視されるようになってきている。このため、佐野三家ではなく、ほかのミヤケを指す可能性も残している。この三家の経営を預かってきた家柄の人々が「三家子孫」であり、現在侍家刀自、他田君目頬刀自、物部君午足などである。このうち物部は利根川右岸の西毛地域に広範囲に分布している古代氏族であり、他田もほかの資料に認めることができる。

 「七世父母、現在父母の為に」という語句はこの碑が仏教思想を背景としていることを物語っている。「七世父母の為に」というのは7世紀から8世紀の造像銘や写経奥書などにしばしば認められるが、「現在父母の為に」とあるのは例が少ない。仏教信仰を共にする集団の意味である「知識」や「七世父母」などの語句や全体の文意から、本碑が七世父母の菩提と現在父母の安穏を祈って造立された仏教的な碑であることは明らかで、東国における仏教受容の一例証とされている。碑文中に物部君や他田君、礒部君などの古代氏族が認められるが、限られた資料しか望めない当該期の氏族研究において、出土文字資料とともに、本碑の果たす役割は大きい。

 金井沢碑の書風については、山ノ上碑と同様に隷書体の古い特徴が認められる。安山岩の自然石を用いた碑の形態は、朝鮮の影響を受けたものとみられている。1954年に国指定特別史跡となった。〈松田猛〉

[文献]
◇尾崎喜左雄『上野三碑の研究』 1980
◇東野治之「上野三碑管見」『群馬県史研究』13 1981
◇『群馬県史』通史編2 1991


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