| 柏倉芳見沢遺跡(かしわくらよしみざわいせき) |
| 勢多郡宮城村柏倉にあり、芳見沢川の右岸台地上に立地する。標高は約380メートルである。1990年に土地改良事業に伴って宮城村教委が発掘調査した。旧石器時代の石器群、縄文時代早期の陥穴群や前期の竪穴住居、土坑、平安時代の炭窯が見つかり、中でも陥穴群と旧石器時代石器群が注目を集めた。
石器群はAs-YP直下の約1万3000年前の層位から出土し、旧石器時代最終末の一群である。北方系細石器群に関する資料で、10メートル×15メートルの範囲から134点が出土した。在地系の石材を使用した大型の剥片が5ブロックにまとまって出土したため、石器の製作過程を示す良好な接合資料が多く含まれる。特に、細石刃を剥ぐための素材とされる舟底形石器同士の甲板面と腹面との接合例は特筆される。削器が多く、明瞭な掻器が認められず、細石刃も2点と少ない。うち1点は東北産の珪質頁岩であるが、ほかにこの石材を使用した石器は出土していない。北方系石器を出土する桝形遺跡や龍ノ口遺跡、頭無遺跡、南方系石器を出土する市之関前田遺跡など、周辺の遺跡との関連が注目される。 縄文時代早期の陥穴群は、160基余りが見つかっている。平面形は小判形で、底に逆茂木を持つタイプがほとんどである。芳見沢川右岸と遺跡内の埋没谷を取り囲むように造られていて、立地や形態から主にイノシシを狩猟対象としたものと考えられるが、明確な配列をもたないものが多い。芳見沢川周辺からは、特殊磨石など早期の石器が多量に出土した。前期では関山式期の竪穴住居が台地縁辺で4棟見つかっている。また、平安時代の炭窯2基が台地傾斜面で見つかった。窯体が長く、地下式である。焼成部最下面から9世紀前半の須恵器坏が出土した。窯壁に認められる地割れは、弘仁9(818)年の地震によるものと思われ、災害直後から炭窯が操業されたと考えられる。出土遺物は宮城村教委に保管されている。〈細野高伯〉 |
| [文献] ◇細野高伯「柏倉芳見沢遺跡」『長野県旧石器文化研究交流会』 1992 |