糸井宮前遺跡(いといみやまえいせき)

  利根郡昭和村糸井字大貫原、字外原にあり、赤城山北西麓を流れる片品川左岸の第2段丘面上の、標高400メートルに立地する。1981年から1983年にかけて、関越自動車道建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。遺構は平安時代の竪穴住居26、古墳時代後期の竪穴住居8、古墳時代前期の竪穴住居35、縄文時代前期の竪穴住居99、土坑323などである。縄文時代の遺構は、大きく2時期に分かれる。前期中葉の有尾式期、黒浜式期と前期後葉の諸磯b式期後半から諸磯c式期である。各時期は、さらに4段階から5段階に分かれ、同時に存在した竪穴住居は、10棟に満たないものと考えられる。これらの竪穴住居は、東側に弧を持つ半円状に広がり、中央部に空間を持つという集団規制によって集落全体が構成されている。従来、縄文時代前期中葉の県内の土器は、南関東地方に多い黒浜式土器が主体になると考えられてきた。しかし、本遺跡での有尾式土器と黒浜式土器の出土量比から、内陸部に多い有尾式土器の影響が強く及んでいるものと考えられるようになった。また、諸磯c式土器の文様構成は諸磯b式土器からの変遷を引かずに途絶えてしまうものと考えられていたが、本遺跡出土の土器から漸次諸磯c式土器へと文様変化したものと理解されるようになった。糸井宮前遺跡は、周辺遺跡をまとめる拠点的集落と考えられる。古墳時代前期(4世紀から5世紀前半)の集落は、出土土器の編年によって長方形の竪穴住居と、方形の竪穴住居の2種類があり、2時期の変遷が考えられる。各時期は3棟から4棟の竪穴住居群が、遺跡内の分布と住居規模などから2単位に分かれ、建て替えに伴って遺跡内を単位集団ごとに移動したことが想定される。二つの単位集団が対応して、遺跡内移動を繰り返すことからみて、強い共同体規制があったことがうかがえる。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈関根愼二〉

[文献]
◇『糸井宮前遺跡II』 1986
◇関根愼二「諸磯c式土器以前」『研究紀要』12 1995 県埋文事業団
◇小笠原好彦「古墳時代の竪穴住居集落に見る単位集団の移動」『国立歴史民俗博物館研究報告』21 1989

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