石原鶴辺団地I遺跡(いしはらつるべだんちIいせき)

  高崎市石原町字鶴辺にあり、高崎市南西部を東南流する烏川の右岸の観音山丘陵の舌状台地上、標高137メートルに立地している。1961年に鶴辺団地造成の際に古墳時代中期から後期の大集落が見つかっているが、十分な記録も残されないまま破壊されてしまった。1991年に市営住宅建て替えに伴って高崎市教委が発掘調査したが、すでに従来の造成によりローム層まで削平されていた。特に南辺では残されたローム層も薄く、灰白色のシルトがすぐに露出してしまうほどであり、遺構の残存状況は極めて悪い。8世紀代の竪穴住居1、これを削って造られた竪穴住居1(竈のみ)、時期不明の土坑1が調査された。2号住居は、南壁の一部と貯蔵穴の一部が確認され、確認面から床面までの壁高は5センチメートル前後しかなかった。竪穴住居の竈と考えられる焼土の跡や床面の一部分と考えられる場所もところどころに確認され、古墳時代から平安時代の土師器や須恵器片が確認されているため、多数の竪穴住居があったものと考えられる。出土遺物は高崎市教委に保管されている。〈宮寺久〉

[文献]
◇『石原鶴辺団地I遺跡』 高崎市教委 1991

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