石畑岩陰遺跡(いしはたいわかげいせき)

  吾妻郡長野原町川原畑字石畑にある岩陰遺跡で、JR(旧国鉄)が1978年に実施した吾妻線の防壁工事中に見つかった。遺跡の下を流れる吾妻川は、長野原町の川原畑付近から細い渓谷(吾妻渓谷)となる。遺跡はこの吾妻渓谷が始まる部分の左岸上に立地し、山頂からせりだした岩山の陰を利用している。岩陰のテラス部分は、JR吾妻線の鉄道と国道によって大きく削平されている状態であるが、岩陰奥部は良好に残されており、鉄道線路下にも包含層が残されている。擁壁工事のためテラスの前面を削った状態で調査を行い、岩陰の横幅が40メートルの大きさであることが分かった。奥行は現状で2メートル程度しかないが、下部が良好に残されており最下層ではかなりの奥行となることが想像できる。調査は土層断面にかかっている遺物の出土位置および層序と、最下層の確認を中心に行った。岩陰に対して横方向の土層断面しか確認できなかったため、本来の層の流れという意味では正確なものとはいえないが、ある程度の傾向をつかむことができた。表土から最下層まで4.3メートルの堆積土があり、31層に分類できた。傾向として、岩陰東側の下部に縄文草創期、上部に早期の層が集中し、西側はかなり下部まで前期の層となっており、これらの層の上には晩期と無遺物層である表土が全体の保護層として1.3メートルほど堆積している。また、かなりの層が良好な灰層となっている。遺物は縄文時代に限定され、中期を除く各時期の土器、石器、獣骨が出土している。その中で特記されるのが、最下層を中心に出土した縄文草創期の回転縄文系表裏縄文土器群である。複数の層から出土しており、文様などを分析した結果、本土器群が細分できることが判明した。岩陰の中心部は良好に残されており、今後の調査が期待される。出土遺物は、長野原町教委に保管されている。〈巾隆之〉

[文献]
◇『群馬県史』 資料編1 1998

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