| 石墨遺跡(いしずみいせき) |
| 沼田市石墨町字新田割にある。沼田盆地の北縁にあたり、薄根川と四釜川が形成する河岸段丘の最上位に立地する。遺跡の西側は四釜川に、東側を小沢川によって画された、標高420メートルから425メートルの南側へ下るなだらかな平坦面にある。1982年から2年間にわたって、関越自動車道建設に伴って沼田市教委が発掘調査した。縄文時代前期から平安時代にかけての集落、土坑、陥穴、溝などが見つかった。弥生時代後期樽式土器を出土する竪穴住居が10棟あり、そのうち5棟が焼失住居であった。いずれも入口部と判明できるピットがある。炉は土器敷炉が1基みられるほかは地床炉で、炉石が1個入口側に設置されているのが特徴である。集落は西端の段丘端に近い第1遺構群と浅い沢地を挟む第2遺構群に集中する。また、集落と離れた調査区東端の小沢川に面した傾斜地には周溝墓の埋葬施設とみられる墓坑が6基あり、うち3基には円形の周溝が伴っている。土坑内から副葬品の壷形土器、鉄剣、鉄釧などが出土した。集落と墓域の立地関係を知る上で重要である。
古墳時代になると集落は遺跡地全域に展開する。前期の竪穴住居は10棟を数え、中期は空白となるが後期になると14棟と増加する。西側対岸にあたる三峰山麓と東方の峯山斜面に分布する後期古墳群と関連するものと考えられる。奈良時代の竪穴住居は1棟と極端に少なく、律令の施行とともに集落の再編成が行われたと推定される。平安時代になると集落は発展を遂げ、9世紀後半代に最盛期を迎える。10世紀前半ごろの竪穴住居の竈から須恵器製の脚付羽釜が完形品で出土している。この生産地は月夜野古窯跡群の須磨野A支群、真沢A支群と考えられる。昭和村の糸井太夫遺跡からは同形の鉄製品が出土していることからも注目される資料である。出土遺物は沼田市教委に保管されている。〈石北直樹〉 |
| [文献] ◇『石墨遺跡』 沼田市教委 1985 |