| 新田郡新田町市野井字籏木にある。神社の南側にある墓地のすぐ西にある。現在も耕作のために、各所に焼土と人骨片が散乱している。この地で荼毘に付された後、墓地にしたものと思われる。一部に土葬した跡もある。出土品中に2枚の永楽通宝があった。また安山岩製の五輪塔の水輪(直径29センチメートル)と火輪がある。集石群が2カ所あり、西側の火葬骨片の見られる場所には骨壷の破片もまじっている。ほかでは土葬骨片が主である。骨壷片は復元すると高さ23.5センチメートル、口径9.7センチメートル、胴部最大径19.3センチメートル、底部径8センチメートル、厚さ0.8センチメートルから1.5センチメートル、上部から自然釉がかかり、下部は茶褐色である。常滑焼と思われる陶製のものである。この集石群の南に板碑群があった。地表から20センチメートルから40センチメートルの比較的浅い所より、全部倒れた状態で出土した。板碑のうち最大のものは112.0センチメートル×30センチメートル×3センチメートルのもので、天蓋蓮台付き三尊。「建武三(1336)年丙子二月十三日」は両側に光明真言6字が2行ずつ梵字で書かれている。紀年銘の分かっている物は、この建武三年丙子二月十三日のほか、建武五(1338)年戊寅二月日銘、康永三(1344)年甲申四月日銘、文和三(1354)年甲午八月日銘、永和元(1375)年八月銘、応永十□銘などがある。産土神としての生品神社は聖域と見なされ、墓地としては最適の地であったかもしれない。土豪一ノ井氏館の近くである。出土遺物は新田町教委に保管されている。〈木暮仁一〉 |