| 有馬条里遺跡(ありまじょうりいせき) |
| 渋川市八木原にあり、榛名山の東麓末端と利根川の間に開けた、小河川による扇状地上に立地する。1982年から1984年にかけて、関越自動車道建設に伴って県埋文事業団が発掘調査した。遺跡名は、この地域に現存する水田区画が条里制の遺構と想定されていたことに由来するが、古代の条里制にかかわる遺構は見つかっていない。遺跡はかつての利根川による礫層を基盤とし、その上位には約3メートルに及ぶ火山灰や火山噴火による泥流堆積物が覆っている。主な遺構は、弥生時代の竪穴住居38、礫床墓2、溝、古墳時代の竪穴住居83、As-C下の畠、Hr-FA下の畠、Hr-FP下の水田、奈良時代から平安時代の竪穴住居163、掘立柱建物18、鍛冶遺構、井戸、溝などで、弥生時代中期から平安時代にかけて継続する複合遺跡である。
注目されるのは、この地域における土地利用の変遷が火山災害を通して確認できることで、特に古墳時代後期における、榛名山の2回の噴火による災害に顕著である。弥生時代中期から古墳時代中期の集落であった場所が、古墳時代後期には畠地へと変化する。この畠がHr-FAで埋没した後に水田が造成され、さらにこの水田がHr-FPで埋没した後は再び集落へと変化し、平安時代の11世紀代まで継続する。さらに、現存する水田区画が条里制の遺構であるとすれば、11世紀以降に再び組織的な水田化が図られたことになる。また、Hr-FPで埋没した水田面には、小畦が全くなく、無数の足跡だけを残す部分と、平行する畦状のわずかな高まりがつくられている部分、縦横の小畦が完成している部分の3種類の異なる状況がある。これは田起こしから畔つくりの過程を示していると考えられることから、Hr-FPの噴火の季節は初夏と推定されている。また、この遺跡から出土した土器を基準として、Hr-FPの噴火年代が推定されている。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈坂口一〉 |
| [文献] ◇『有馬条里遺跡』I・II 1989・1991 県埋文事業団 ◇原田恒弘・能登健「火山災害の季節」『紀要』5 県立歴史博物館 1984 ◇坂口一「火山噴火の年代と季節の推定法」『火山灰考古学』 古今書院 1993 |