荒砥二之堰遺跡(あらとにのせきいせき)

  前橋市飯土井町字二之堰にあり、赤城山南麓末端の神沢川に向かって緩やかに傾斜する台地上に立地する。標高は約93メートルで、台地と神沢川との比高は約3メートルある。1980年にほ場整備事業に伴って県埋文事業団が発掘調査した。調査した遺構は、縄文時代の竪穴住居35、土坑47、古墳時代の竪穴住居19、方形・円形周溝墓10、古墳21のほか、時期不明の溝状遺構12などである。縄文時代の集落は、前期諸磯b式期に始まり、中断した後、中期加曽利E3式期から後期堀之内I式期まで継続して営まれている。縄文時代の遺構で注目されるのは、後期の称名寺I式期から堀之内I式期の柄鏡形敷石住居である。この形の住居は、関東地方から中部地方の関東山地寄りの地域に加曽利E4式期ごろに現れる。荒砥二之堰遺跡では7棟確認された。柄鏡形の柄にあたる部分は出入口と考えられており、ここに祭祀施設として土器を埋めている例と土坑が造られる2例がある。これは埋甕が土坑へと変質し、さらに埋甕、土坑の消滅へ推移したものと考えられ、祭祀行為が衰退していく過程としてとらえられている。こうした施設の変化から柄鏡形敷石住居の変遷と消滅についての検討材料が与えられた。古墳時代の遺構では、21基調査された山寄せ構造の群集墳が注目される。この地域は『上毛古墳綜覧』には、前方後円墳1基を含む15基の円墳が記載されているが、調査例は必ずしも一致していない。調査された古墳は、封土と周溝の確認できなかった例があるが、円墳と考えられる。石室は輝石安山岩の割石を乱石積した両袖型の横穴式石室で、石室開口部前面に前庭状の遺構がある。出土遺物は県埋文センターに保管されている。〈桜岡正信〉

[文献]
◇『荒砥二之堰遺跡』 県埋文事業団 1985

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