| 赤城塚古墳(あかぎづかこふん) |
| 邑楽郡板倉町西岡にある。板倉町立北小学校から北西約700メートルに位置する。藤岡台地の南西端部にあって、西側の水田との比高が大きいため、西側から見ると非常に大きな古墳に見える。しかし実際は直径が30メートル、高さが約3メートルから4メートル程度の小さな古墳である。江戸時代の延宝5(1677)年に赤城神社の社殿を建てるため、墳頂部が削平された際に石室が破壊されたと考えられる。副葬品として三角縁仏獣鏡、鉄刀、鉄剣が出土している。しかし石室の状況などは明らかにはされていない。鏡は、直径が22.08センチメートル、縁の断面が三角形をしている。文様構成は内側に鋸歯文が、さらにその内側には鳥獣が描かれ、鈕のまわりに3体の仏像と仙人、そして4獣が描かれている。このように仏像が描かれているため「三角縁仏獣鏡」と称されているが、全国的に見ても出土例は5種8面と少なく、本県においては唯一である。地元では「鏡を見ると目がつぶれる」などの逸話も多く、長いこと公開されないままであった。しかし地元の人々によって鏡の文様を克明に描き、発見の経緯などを刻んだ石碑が境内に建てられている。石碑建立の時期や理由などは明らかではないが、鏡に対する地元の人々の思いが感じられる珍しいものである。古墳の構築時期は今から約1500年前の古墳時代前期と推察する。ただし鏡はそれ以前に作られたものと考えられる。製作地なども明らかではない。当時は渡良瀬川が古墳の西側を南下していたと考えられており、古墳は左岸上に築かれていたことになる。つまり古墳の被葬者は渡良瀬川の左岸取っ付きの地にあって毛野の玄関口を支配し、勢力範囲は板倉沼周辺から佐野市南部にかけての広域に及んでいたものと思われる。出土遺物は町教委が保管している。赤城神社は現在西丘神社に合祀されているため、鏡は西丘神社で保管しており、レプリカを作製して、一般に公開している。〈宮田裕紀枝〉 |
| [文献] ◇『板倉町史』通史編上 1985 ◇宮田裕紀枝「鏡陵皇太神碑について」『波動』1 1995 |