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太田市矢部(やべ)遺跡出土の「漆紙文書」(うるしがみもんじょ) |
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発掘情報館において一般公開 |
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発掘情報館において、平成17年11月5日(土)から11月11日(金)まで公開展示をします。 |
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| ○漆紙文書が出土した矢部遺跡 |
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| 漆紙文書(うるしがみもんじょ)が出土した9号住居跡。 |
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| 9号住居跡の床面近く、杯(つき)のなかに付着して漆紙文書が出土した。 |
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矢部遺跡は太田市北東部の只上(ただかり)町に位置し、北関東自動車道建設事業に伴い当事業団が平成16年5月から発掘調査を実施しています。調査区からは竪穴住居、掘立柱建物、畠跡、溝などが発見され、奈良・平安時代を中心とした古代の集落跡であることが確認されました。
漆紙文書は本年10月初旬、住居跡群が検出された6区9号住居跡から、土師器(はじき) の坏(つき)に付着した状態で見つかりました。竪穴住居の埋没時期は、出土土器の年代から8世紀後半から9世紀初めの頃と推定されます。この漆紙を赤外線カメラで調べた結果、紙の両面に墨書された多数の文字が現れたことから漆紙文書であることが解りました。 |
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| ○漆紙文書が語るもの |
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| 赤外線カメラにより文字が現れ、漆紙文書であることが確認された。 |
漆紙の表裏2面に50字ほどの墨書が確認されました。うち解読可能な文字は30字で、表面に「土師□□麻呂」の人名や同音の漢字が列記(習書か)されています。裏面には「大歳前」、「沐浴」などの文字が記されていたことにより、律令(りつりょう)期に使用された『具注暦』(ぐちゅうれき)とみられます。さらに、「大歳前」(たいさいまえ)という文言から天平宝字7年(西暦763年)以降に採用された『大衍暦』(だいえんれき)と推定されます。
漆紙文書は今まで群馬県内で3例の発見がありますが、高崎市下小鳥遺跡出土の漆紙文書の「畝麻呂」(人名)、「田幾」の文字が知られるのみでした。今回の資料は判読できる文字数が多く、また文書の内容も解明できる貴重なものです。
今後、さらに釈文や暦の文言を検討することにより、現在の群馬県にあたる古代の上野国(こうずけのくに)の地方行政の一端を示す資料として、また付着した土器の年代を確定する基準資料として活用できるものといえます。 |
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| 用語解説 |
・漆紙文書[うるしがみもんじょ]
漆液を入れた容器の蓋(ふた)として使用された紙に文字が残されたもの。
漆がしみ込んだために土中で腐敗することなく遺された。蓋紙の多くは当時使われた行政文書の反故紙であることから、律令期(りつりょうき)の都や地方における行政の実態を知る上で第一級資料といえる。 |
・具注暦[ぐちゅうれき]
古代の暦の一般的な名称。「注」が具(つぶさ)に記されていることからこの名がある。
一年分の日付・干支、その日の吉凶・禍福等が記されたもので、今日のメモ欄付きカレンダーにあたる。 |
・大衍暦 [だいえんれき]
中国唐代の暦法で玄宗皇帝の勅命で編纂された。
日本には天平7年(735)、吉備真備(きびのまきび)が唐から持ち帰り、天平宝字7年(763)から貞観3年(861)までの98年間用いられた。 |
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