赤堀町今井見切塚遺跡の製鉄遺構について

 2001年3月5日付け上毛新聞文化欄に、赤堀町今井にある今井見切塚遺跡の発掘調査で見つかった、「平安時代の製鉄炉」が取り上げられました。
   発掘調査は終了したため、現地で遺構を見ることはできませんが、発掘情報館の最新情報コーナーには、この新聞記事と、今井見切塚遺跡で見つかった鉄滓(スラグ)が展示されています。どうぞ、ご覧ください。


 3月5日付けの上毛新聞文化欄では、「平安時代の製鉄炉出土」との見出しをつけて、多田山丘陵(今井見切塚遺跡)で製鉄遺構が確認されたことを報じています。すでにご覧になった方も多いと思いますが、調査途中での取材だったこともあり、報道時点では分からなかった部分なども含め、若干の補足を加えておきたいと思います。
 この遺構は、赤堀町と前橋市にまたがる多田山丘陵の東南部の斜面裾部分に、連続して構築された平安時代の炭窯群の下部から検出されました。最終的には、ごく狭い範囲(約3メートル四方ほど)から重複して、5基の半地下式竪形炉と1基の廃滓土坑(主に壊した炉壁材などを廃棄した土坑)が確認されました。遺構は調査区域ぎりぎりの部分で見つかっており、調査区域外にも広がっている可能性が高いと考えられます。
 記事の中でも紹介されていたように、当時の製錬炉では操業後炉を壊して炉の底にできた鉄塊を取り出したと考えられており、一般的に製錬炉が出土する場合、炉床部分や作業場などが残るものの、炉本体の状態が分かるような形で見つかることはあまりありません。今回の調査でも、5基のうち4基については、かろうじて炉体の一部と炉の床部分が確認できる程度のものでした。ただ、最後につくられたと考えられる1基(5区1号炉)のみは、炉の底部から20〜30cm程度の部分の炉体部がかなり良好な状態で残されていました。これは、この製錬炉が廃棄された後、その上に炭窯がつくられたのですが、その際、炉の下部は壊されないまま埋め土され、炭窯の作業場に利用されたためと考えられます。
 注目されるのは、その炉の内壁面が、その全周の2/3程度にわたって、すさ入りの粘質土を張った後、乾燥のために焼き締められているものの、操業にともなう被熱を受けていない状態にあるということです。このことから、炉壁の修復途中もしくは修復後何らかの事情で操業されないまま廃棄された可能性も考えられます。また、炉体断面からは、数回にわたり炉壁を修復したと思われる痕跡も見つかっています。これらのことから、この1号炉の炉体を分析していけば、当時のこの型式の製錬炉の製作方法や構造等がかなり詳しく分かる可能性があるものと思われます。このため、この1号炉の炉体については、残存状態のよい一部(全体の1/4ほど)を切り取って保存することとしました。
 これらの製鉄遺構や炭窯の時期については、この1号炉が廃棄された直後にこの炉を壊してつくられた炭窯(5区19号炭窯)の床面から完形に近い高台付碗が出土しており、これによってかなり狭い範囲の中で限定できるのではないかと考えています。
 多田山で確認された製錬炉は、一昨年、今回の場所から500m程北に離れた今井三騎堂遺跡で3基、今回の5基の計8基となります(いずれもほぼ同時期に近いものと考えられます)。しかし、製鉄に利用されたと考えられる炭を焼いた炭窯が多数(約30基ほど)見つかっていることや、この多田山丘陵の東麓では、かなり広い範囲で廃滓(スラグ)が散布していることが確認できることなどから、この時期、この多田山丘陵東麓はかなり大規模な製鉄拠点であったことも想定できるものと思います。
 なお、これらの遺構は、3月16日までに全ての調査を終了し、その後は安全確保の必要もあって、全て埋め戻す措置をとったため、残念ながら現在では見ることができない状態であることを付け加えておきます。