天明3年の畑跡の耕作土は、寛保2年の山崩れの土砂を開墾したのでした。
昭和10年の面から数えると、3枚目の畑跡になります。
開削された時期は不明ですが、写真の様にまわりが低い石垣で囲われていて、小石もほとんど含まない均質な耕作土で、畑の畝とサクがはっきりとしている畑跡でした。
寛保2年の山崩れの下から見つかった畑跡はこの畑だけですが周辺の調査が進めばさらに多くの事実が分かってくるでしょう。